とある伝統工芸に関する話題を若い女に振られて。
”いや、興味はあるが、お前さんが今提示しているものには食指は動かないねぇ・・・”
なぞと思えど、それをうまく表現できずに、「あ・・・、う・・・」ってなっていたら・・・
興味ないですか?
って、言われた。
その言動が、”この人は伝統工芸には興味ないんだな(そういうものに重きを感じない人なんだな)”、といった受け止め方をした者のニュアンスが含まれているように感じられて、煮え切らない。
(いま、モヤモヤする、という言葉を使いかけて、少し前に違う若い女にその言葉を使われてこれまた煮え切らなさを感じたこと思い出し、”煮え切らない”という言い回しにたどり着いている。)
おそらく私は、○○ありき、といった部分に引っかかりを感じているのかもしれない。○○こそエライ、○○こそ本物、みたいな思想に。そしてその思想は、かつて自分がはまっていた”虚構”に通じているように、今、思えているから。
それはそれでそこにあって、それを自らのスタイルにうまく取り入れることこそ粋。でもそれは、見えるようにしておかなければ消えていってしまうものでもあって。それを気づいた者によって受け継がれ、守られていく。○○は、そういった類のものだ。
立派なことだと受け止められれば、それに関心を持つ者の評価は上がる。そして、ちょっと自我の芽生えたマジメな大衆は、そういうものに飛びつきがちだ。わかりやすく、自分の価値を高く見せられるからね。
自分の辿っていた道であるが故、見えてしまう。
違ったと、距離を置きたくなってしまう、それを取りまく大衆。
いわゆる”ホンモノ”が分かる”ワタシ”。
でも・・・
興味ないですか?、と言われて煮え切らなさを感じている時点で、結局そのトラップから抜け出せていないのだと、自覚させられる。自らの”しょうもなさ感”は、生きている限り永遠に、付きまとうのかもしれない。
アート・伝統工芸と地方女子